御由緒

御祭神

主祭神

  • 稲倉魂命【いなだまのみこと】

    お稲荷さんの愛称で親しまれる神様。当神社の主祭神。食物を司る神様で、五穀豊穣、商売繁盛のご利益。

配祀神

  • 大市姫命【おおいちひめのみこと】

    お稲荷さんの母親。富士山の神・木花咲耶姫神(コノハナサクヤビメノミコト)とは姉妹にあたる。商売繁盛、開運招福のご利益。

  • 大国主命【おおくにぬしのみこと】

    国土経営の事業をなした神様。縁結びのご利益。

  • 猿田彦命【さるたひこのみこと】

    天照大御神の孫、ニニギノミコトが天孫降臨で地上に降り立つとき、先導し道案内をした神様。交通安全、開運招福のご利益。

  • 日本武尊【やまとたけるのみこと】

    景行天皇の皇子。国家安寧のご利益。

  • 火産霊神【ほむすひのかみ】

    火を司る神様。防火のご利益。

御由緒・「歌懸」の名の由来

当社は元和4年(1618年・江戸前期)に、前身であられた五佛山吉祥院という寺院が、神仏習合によって京都伏見より勧進されたお稲荷様をお祀りしたことから歌懸稻荷神社がご鎮座されるようになりました。当時は山形城下・稲荷口(現在の山形駅付近)にご鎮座なされていた寺院。お参りに来られた方々は歌を奉納するという習慣がございました。なぜなら、付近には歌を読まなければ渡ることが許されない橋があったからです。

当社に資料として残されている『奉加帳』の御由緒の項にはこのように記されております。「往古社前に土橋アリテ稲荷橋ト名ツケ和歌讀ミテ其ノ橋ヲ渡リタルニ起レリ」と。

こういった歌を奉納する人々の習慣が「歌懸」の名が生まれた由来であると思うのです。

歌に懸けた思い「歌懸」

社名にもなっているこの「歌懸」という言葉。この言葉は、実に雅やかな風習から生まれた言葉なのです。当社は元和四年(1618年)に当社の前身であられた五佛山吉祥院という寺院が、神仏習合によって京都伏見より勧進されたお稲荷さまをお祀りしたことから歌懸稲荷神社がご鎮座されるようになりました。当時は山形城下・稲荷口(現在の山形駅近辺とされている)にご鎮座なされていた寺院。お参りに来られる方々は、短冊に歌を書いて奉納する風習があったと神社に古くから残されている御由緒に、そう記されているのです(歌とは、和歌・短歌・連歌)。そういった人々の風習にあやかり、稲荷神社へと姿を変える時、歌懸の名が社名として残り、歌懸稻荷神社はご鎮座なされたと思うのです。奇しくも、当社が誕生する4年前(1614年)に、当時山形城の11代城主であった最上義光公がこの世を去っております。つまりは、吉祥院の頃には、義光公は健在であったことが伺えます。義光公は、智将として他国の武将から恐れられていたが、文学にも長けていた人物であり、歌を詠むことを趣向としていました。

果たして、人々が歌を奉納していたという風習は、歌を嗜んでいた義光公の影響でもあるのか。その答えは、神様しか知ることのないのです。

歌懸稻荷神社 宮司 吉福航

歌懸稻荷神社 宮司 吉福航一

山形城下絵図

当神社が所蔵する山形城の城下絵図です。元和年間の城下図を天明の頃に写したものと伝わっております。当神社は現在と同じ位置、三の丸十日町口のたもとに吉祥院として描かれております。

神仏習合の時代、当神社は五佛山如来寺吉祥院と称しておりました。