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境内の北西には、最上義光公57万石時代の三の丸跡があります。平城としては全国有数の規模を誇った山形城(霞城)の外郭部分で、山形市内に点在する三の丸跡の中でも最大のものです。 もとは境内の一部でしたが、山形城跡として昭和61年に国指定史跡となり、現在に至ります。三の丸の碑は、県指定史跡であった昭和36年に建てられました。
伊勢の神宮、天照大御神の御分霊をお祀りしております。
境内への入り口は、こちらが正面になります。
かつては山形城三の丸の十日町口に面していました。現在の鳥居は明治時代に建立されました。
もともとは別の場所にあったようですが、いつの時代からか当神社の境内に移され、現在に至っております。地域の子供たち、また、育児をする母親たちの守り神として、古来より地蔵講によって厚い信仰を集めております。
慶応3年に建立されました。
もとは一対の金灯篭でしたが、戦時中の金属供出により長らく台座のみとなっておりました。平成10年に氏子によって台座の上に石灯籠が寄進され、現在の姿になっております。
稲倉魂命(うかのみたまのみこと)をはじめとする六柱の大神様をお祀りしております。年中の祭儀、各種御祈祷を執り行います。
十日町生まれの著名な彫刻家、新海竹太郎氏の銅像です。竹太郎氏の甥の新海竹蔵氏によって制作されました。新海竹太郎氏の作品は当神社にも多数の所蔵がございます。
例祭の前日には、特殊神事「鎮火祭」を斎行いたします。
古くより伝わる祭式にて護摩祈祷を行い、旧山形城下全域を大火、流行り病等の災いからお守りしてくださいます。
市神様は商いの神様として厚い信仰を集めております。十日町の町名の由来となった十日市の場を示す碑として、現在のやまぎんカードサービス付近の路上にお祀りされていましたが、明治初期の道路拡張に伴って市内の湯殿山神社に移されました。 しかし、その後も十日市跡地への参拝者が後を絶たず、もとの場所付近に新たに市神様の碑がお祀りされ、戦後に当神社境内に移されて現在に至っております。 このような縁起により毎年1月10日の初市は、十日市跡碑前と当神社市神様にて祭典を斎行してから開催されています。
大正時代に建立されました。
建物全体を「参集所」と称し、そのうち御社殿側一角を「社務所」と申します。
社務所は御祈祷の受付・待合、御札・御守の頒布、家相・命名のご相談、法人事務等、社務全般を執り行うスペースです。
参集所内には、30名程度の会議・展示会・研修会等にご利用頂ける貸席スペースと、テナントスペースがございます。
■テナント案内
1階/そば処三津屋出羽路庵
2階/十日町商店街振興組合
山形市内7ロータリークラブ
国際ロータリー2800地区ガバナーエレクト事務所